カルチャー系ウェブマガジン「ReadingParty」

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アニメーションの散歩道

フランス人はプライド高い!

経済学者の伊東光晴氏が「フランスは中国以上に中華思想の国である」と断定されて
いました。絵画でも、工芸でも、思想でも、文学でもフランスが世界のリーダー、フランス
人はそう信じている。つまりすべての文化はフランスに来て、洗練されて世界一になっ
たのだそうです。
なんかそういう自意識を見せつけられたようなアニメーション大作が相次いで公開され
ました。確かに素晴らしい、少なくとも2本は。残り1本はムムム、でしたが。まじめに検討
しましょう。

 


ディリリとパリの時間旅行

原題:Dilili a' Paris(直訳:パリのディリリ)、2018年 94' フランス・ベルギー・ドイツ合作
監督・脚本:ミシェル・オスロ(Michel Ocelot フランス人、1943/10生)
この映画はフランスの印象派絵画やその時代についての知識がないとピンとこない、
ギャグが通じないかもしれません。

シャンゼリゼ通りのざわめきシーンには呆然とさせられる

 


ニューカレドニアから来た少女

初めは時代も場所もわかりません。とにかく今から100年ほど昔みたい。肌黒い青年
が手おので丸木舟をくり母親らしき女が赤ちゃんの世話しながら雑穀を挽いている。
そばで少女が楽し気に一人縄跳び。先史時代人の生活、あるいは未開人の家庭か
な? でも視線、つまりカメラがトラックバックすると彼らは舞台で演技してるだけ。その
周りではたくさんのヨーロッパ人が見物。その一人青年オレルが少女にそっと声をかけ
る。少女「5時になったらお仕事終わって4番門から帰るの。そこで待ってて」。なんか
肩すかしの展開ですね。この生活風景は見せ物興行だったみたい。
 さて閉園時間。観客退出し、少女もすっかり白人の服に着替え出てきた。青年とラン
デヴー。でも彼は白人、彼女はかなり肌黒。会話も背景の街頭看板文字もフランス
語。ここで舞台はパリだとわかる。彼女「私の名はディリリ。ニューカレドニアから来たの。
外国へ行きたくてお船に隠れたのよ。お父さんはフランス人らしいの。親切な夫人に
助けられていっしょにパリに来ました。今、フランスのお作法を勉強中です。でも国では
肌の色が薄いとバカにされ、こちらでは色黒だって笑われてるんです」。深刻な話だが
人種差別エピソードはこれで終わってしまう。ここらあたりから時代は20世紀初めと気づ
かれる。とすると差別は今よりは酷かった筈。ちょっと構成甘いな。人間てさ、ちょっと
でも自分たちと違ってる少数派をあざ笑って優越感に浸りたがるんです。
 ちなみにニューカレドニアとは南太平洋南緯23°付近、南回帰線のちょっと北、オー
ストラリアの東。一時英仏で争いがあったようですが、19c中頃からフランス領。フランス
にとってははるか彼方の植民地で経済的利害も国民の関心もあまりないようですね。
「今は夫人のお宅に住んでます」。夫人は貴族階級らしいが、それにしては少女に妙
なアルバイトさせてますね。

技法がすごい!
 ところで彼女、そして街行く人々のキャラクター表情、コスチューム描写、見てて初め
はエッとびっくり。陰影がない、ベタ塗り一色の動体です。切り抜き絵アニメかなと一瞬
思ったのですが演技は目まぐるしくフルアニメ。2DCGだったのです。作画スタッフに
よほど腕のいい原画陣を抱えていたようだ。

 

 

実は冒険大活劇
 このほの甘ロマンスムードはイントロだけ。その頃パリの町では連続少女行方不明
事件で大騒ぎ。その少女誘拐団退治の大冒険が見せ場でした。パリの石畳の路上や
石積み階段坂を宅配便用自転車三輪車で暴走。まるでカーチェイス。あの「ブリット」
(1968年、監督:ピーター・イェーツ)を思い出します。主演スティーブ・マックイーンが
坂の多いサンフランシスコの町を跳んだり跳ねたりの追跡劇を見せてくれた。同じ
ことを足でペダル踏む自転車で見せるのだからびっくり。あっけにとられました。いや
もっと昔、サイレント映画の名作「戦艦ポチョムキン」(旧ソ連 1925年、監督:セルゲイ・
エイゼンシュテイン)のオデッサ階段でのベビーカー暴走までパクってる感じ。
 少女名探偵ディリリに協力する人々がすごい。ムーランルージュのプリマドンナの紹介
で印象派画家のゴーギャン、ロートレック、モネ、ドガ、ピカソ、医学のパストゥール、
建築家のエッフェル、文学のプルースト、物理学のキューリー夫人etc., とにかく世界史
に名をなした超有名人ばかり。夢みたいに広すぎる人脈と交際にびっくり。ちょうど都合
よく次々と登場してくるのにはおかしいやら楽しいやら、笑いっぱなし。ただし時代を
詳しく照合すると矛盾してきます。ま、難しいこと言わず、かってパリにいた偉人たちの
夢の競演を楽しみましょう。
 汗して働いてるのは宅配便屋のイケメン青年オレルだけ。他の人は優雅に芸術を
愛し研究にいそしんでいられた夢のような時代がかってあった…んなわけないゾ。
とにかく徹底して仮想世界。いわば時代劇SF。フランス語での会話が続き「飛行船が
あるといいんだけど」「ちょっと待って」電話とってダイヤルをジーコロジーコロ。待って、
電話ってその頃は新発明品。ダイヤル自動交換なんてまだ先の時代だったよ。それで
もどこかへ通じたらしい。急にドイツ語会話。もしや? 私ニヤニヤ。案の定「ツェッペ
リンさんがベルリンから飛行船で応援に来てくれます」 もうたまらなく私、大笑い。でもさ
飛行船の離着陸ってそれなりの人手がかかるんです。なのにこのアニメでは軽々とエッ
フェル塔の上に係留してた。あんなの出来っこないんです。ここまで言ったら余計な
あら捜しかな? ハイもう言いません。
 ラスト近く警視総監まで陰謀団の一味だったと判明。腐敗した権力の恐ろしさも描き
ます。でも正義の味方、白馬の王子様役は陸軍将校。ちょっと逃げてるね、この設定。


宅配便三輪車が空を飛んで突っ走る!
日本ではリヤカーって呼びますね、この三輪車。

 

サンフランシスコは坂が多く道幅も広い。だからカーチェイスも撮影できた。
皆さんは真似しないでね。

 

赤ちゃんが乗ってるベビーカーが坂道階段を暴走。
観客に悲鳴をあげさせたシーンがあまりにも有名。


パリの町並み
舞台となるパリの雑踏、ざわめき風景が素晴らしい。あの「天気の子」(2019年 新海
誠監督)の新宿街頭シーンとも通じるな。人間の営みが画面からあふれ出てる。サロン
パスの宣伝看板に相当するのがこちらではムーランルージュ看板。文字は違うが雑踏
ムードがそっくり。あるいはイギリス女王ヴィクトリアの弟がまず英語でエドワードと自己
紹介、次にフランス語でエドゥアールと言い直してた。微妙な発音の違いが楽しい。
街頭のポスターにはリュミエールのシネマトグラフ公開ポスターまであり、これには大笑
い。「映画を発明したのはウチらフランス人だ」の自己主張でしょう。とにかくフランスは
偉いんだ、世界文明の中心なんだの目立ちたがり屋根性が満ち満ちていました。その
一方青年の安ステュディオには安藤広重の浮世絵飾ってあったり。日本へも少しは
敬意払ってたな。

無言の観客
 しゃれが効いて楽しく私は大笑いの連続、ニコニコ顔。ところが私が見た映画館では
他のお客さん無反応。これには驚いた。私一人だけが完全に浮いてました。入館者
17~8人くらいか? 中高年客ばかりで、ウィークデイのためか青年や学生は見えず。
女性客が半分以上というのが珍しかった。アニメファンらしき姿はなし。皆さんただ
黙って礼儀正しくスクリーンを見守っていました。この映画のひねり、あるいはフランス
第3共和政の時代について基礎知識あった方がより一層楽しめるかも。


アヴリルと奇妙な世界
原題:Avril et le Monde truque'(直訳:四月娘と奇妙な世界)
2015年 105' フランス・ベルギー・カナダ合作 フランス語
監督:クリスチャン・デスマールChristian Desmares、フランク・エキンジFranck Ekinci
原案:ベンジャミン・ルグランBenjamin Legrand ビジュアル総監督:ジャック・タルディ
Jacques Tardi(マンガ家) 脚本:フランク・エキンジ、ベンジャミン・ルグラン
2015年アヌシー国際アニメーション映画祭グランプリ受賞

ドでかい蒸気機関が次々と登場、メカニズムがすごい!
徹底して空想で居直った強引さはあっぱれ。


摩天楼アクション
私は摩天楼アクションと呼んでいますが、日本アニメにはお家芸とも言える見せ場が
あります。超高層ビルの尖塔、狭く切り立った城壁や屋根、そんな高所恐怖症の人を
ビビらせるような場所、よじ登ったりズリ落ちたり、手カギロープで跳び移り、といった
ハラハラドキドキの大活劇シーンです。
もともとは東映動画の「少年ジャックと魔法使い」(1967、監督薮下泰司、作画監督
大工原章)あたりから始まり、次第に派手ハデな見せ場に磨かれ、特に宮崎駿の名作
「ルパン三世 カリオストロの城」(1979)ではそれこそ全世界を驚かせました。いかにも
和風の美(?)と見られますが、その原点は意外に古くフランスにあったのです。「やぶ
にらみの暴君」(1952、ポール・グリモー監督)で、煙突掃除少年と羊飼いの少女が手に
手をとりあって悪い王様の追っ手から逃れる一連のシーン、あれぞまさしく摩天楼アク
ションの先駆けでした。
だからでしょう、「あんな芸当はウチらフランスこそが本場だ。見ておれ」とばかりの
娯楽作が出現。いやあこんなノー天気な自国第一主義なら大歓迎。そのうぬぼれテン
コ盛りがこのアヴリル。

別の歴史を歩んだら?
フランス、ベルギー、カナダ、広い意味でのフランス語圏の合作。かなりの長編。中味
濃い。それが完全にでっち上げ時代劇なんです。徹底的に居直った仮想世界!
19c末ナポレオン三世(実在位1852~1870 普仏戦争敗戦で退位)の命令で不死身
兵(!)研究にうちこんでいた科学者が実験の失敗で皇帝もろとも爆死。おかげで
普仏戦争(実際の歴史では1870~71)は回避され、今はナポレオン五世(!)の治世。
もう、いかがわしい歴史講釈のナレーションが続き爆笑ばかり。この頃から世界の歴史を
変えたはずの偉大な科学者が次々と失踪。そのため産業革命も中途半端のまま。世は
今もって蒸気機関動力。その煤煙が空中によどみ、肺を病む人が続出。燃料の石炭が
枯渇すると昔ながらの薪、つまり木材燃料にたより、それも切り尽くすと他国の森林を
侵略しようと別の戦争に突入。「敵をやっつけろ! 奴らの森を取りあげろ」戦争スロー
ガンが街に響いている。人類はお互いに殺し合い、残された緑を奪い合っている。
なんともいたたまれない。連続自然破壊の世の中。
待てよ?このプロセス、ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」だな。あの本では各地域
文明の維持、発展、崩壊を自然環境保護から解明してます。森林のリサイクルに失敗
するとその文明自体が縮小再生産に陥って行く。イースター島文明が自己崩壊した
経緯、それをこの映画ではヨーロッパ全体が行っているという設定。ただしあくまで
ヨーロッパだけの設定です。それ以外の文明はアメリカも中国も日本も一切無視、視野
にありません。話を複雑にしないためでしょう。


映画公開の1955年、日本で発行されたマンガ本。A5版、全2色と3色刷
定価\150 当時の物価水準ではかなり高価
「羊飼いの少女! 煙突掃除の少年☆」「文部省特選映画」とある。
元祖摩天楼アクションだがグリモー監督は後にこの旧作の上映を禁止
再製作した「王様と鳥」のみを公開させています。
でも"旧作の方が出来は上だよな"、が日本でのうわさ話。


不細工なヒロインの冒険
その前提で見ていくと蒸気機関のケーブルカー「列車」の移動風景など仮想なりに
リアリズムに徹したメカニズムの迫力にびっくり、ため息。その世は専制支配の徹底した
監視社会なのです。おカミの意向に背くものは即刻逮捕され、消される。
しかしそんな時代に抵抗する少女がいた。両親やお爺ちゃん科学者、全員行方不明
なのですが、その意思を引継ぎたった一人で隠れて研究続けています。いえ一人じゃ
なかった。飼い猫のダーウィンといっしょ。猫ちゃん、名前からして偉そうだが、人間の
言葉しゃべるのです。この超能力は両親の研究の成果だって(笑)。
ともあれヒロインの名はアヴリル(四月)。でも彼女、ちっとも美人じゃない。アニメ、それも
ストーリーSFなのに見目麗しくないヒロインってのはこれが最初、そして多分最後?
よくこんなキャラクター設定をプロデューサーが認めたものだ。作監が有名マンガ家の
ベンジャミン・ルグラン、彼の主張が通ったのでしょう。でもこのため日本のアニメファン
にはウケなかったようだ。日本のファンは美少女キャラのキラキラお目目に慣れている
からさ。
ともあれこの設定からして反体制のムードが溢れています。私は心ワクワク、大いに
期待。彼女と相棒のダーウィンのドタバタが結局、お爺ちゃん以来代々研究してきた
絶対死なない生命の素を合成してしまう。それをねらう秘密警察との追いかけっこが
すごい摩天楼アクション。非現実のやたら重厚で高い建築の屋根から屋根へクルクル
ころころ、走り回り転げ落ち。そこを文章で説明してもつまらない。とにかく楽しめた。手
に汗握るスリルとサスペンス。

本当の支配者は?
ラスト近くになり意外なウラ事情判明。この圧政を支配しているのは実はフランス皇帝
陛下ではなく異常進化した大トカゲ族だった。しかもトカゲ社会も徹底した独裁専制。
どこまでも続く暗黒体制、つくづくため息つきます。トカゲ族は人間を支配し人間の
科学者を拉致し不死身の薬を開発させ、汚れ切った地球を捨て他所の星へ移住し
ようと画策していた。この地球を再生させようという意思はない。これにもため息。
トカゲの独裁者がベッドに腹ばいになり、拉致してきた人間にマッサージさせ、人間
の弦楽カルテット聞きながら「音楽はいい。旧人類の発明で一番いいものだ」なんて
ほざいてる。う~ム、ヒトラーがワグナーに心酔してたようなものか。
不死ワクチンを巡って最後の戦い。一応ハッピーエンドになってました。ヒロインと
彼女を助けた前科者の青年が結びつきます。身分を越えた愛、かなり渋い味です。
支配体制の恐ろしさ、それを破壊するプロセスが痛快。そして自由こそ至高の価値
と信じるスタッフの熱意があふれ出た大作。

スタッフの価値観読めたゾ
エンドロール、各国のプロダクション名とスタッフ名が延々と流れてたが、小さい文字
でフランス語なのでよく読めず。セリフで理解できたのは merci とpapa、mamaだけ(笑)。
とにかくフランスこそ世界文明の中心という自負心が濃厚。産業革命はなかったという
前提なのでイギリスはヨーロッパの片隅、アメリカも眼中にない。日本なんてハナから
無視したムードでしたね。そのうぬぼれにも大笑い。


ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん

TOUT EN HAUT DU MONDE(直訳:世界の最高地) 英題:Long Way North
2015年 81' フランス・デンマーク合作 フランス語 シネマスコープ、カラー
監督:レミ・シャイエ Remi Chaye(フランス人 1968~ )
脚本:クレール・パオレッティ(→英語読み Claire Paoletti)、パトリシア・バレイクス(→
英語読み Patricia Valeix)、作画監督:リアン・チョー・ハン(→中国系か?)、
音楽:ジョナサン・モラリ(→英語読み、Jouthan Morali)

北極探検の悲劇。でも歴史は無視。子どもの教育にはお勧めしません

ちょっとこのタイトル?
“地球のてっぺん”とは北極点を言ってますが、何とも非科学的、がっかり。以前アメリカ
映画で「地球の頂上の島」という冒険モノもあった。ヨーロッパ人には何となくの「北」
優越ムードがあるのかな? 邦題は原題をちょっと意訳してる。
注)地球の頂上の島:1974年、米 Walt Disney Pro. The Island at the Top of the World
 D. by Robert Stevenson 1905/3~1986/4 UK人、原作・イアン・キャメロン「呪われた
 極北の島」
フランス アヌシー アニメフェス観客賞、2015年東京アニメ・アワード・フェスティバル

グランプリ。フランス人監督のレミ・シャイエにとっては初の長編とか。デンマークとの

合作になってるがデンマーク側は出資のみらしい。フランス側もいろいろ制作出資者と
実製作プロダクション名がタイトルされていた。かなりの大掛かり体制を組んだようだ。
しかしそれほどの出来ではなかったなあ…。北極探検冒険物語。それも19c.なので
乗ってる砕氷船も蒸気機関と風力併用の機帆船。ならば航海には途中寄港地での
石炭補給積込の苦労、風向き次第でコロコロ変わる三角帆操作努力が大きな仕事に
なってくるはず。ところが石炭はまるっきり、操帆は嵐シーンしか描かれてない。結果的
に海洋航海の実感が伝わらず、観客の感情移入が大きく損なわれています。

北極探検ルート?
時は帝政時代のロシア、ヒロインのサーシャは貴族の娘。彼女の祖父は北極探検に
向かったまま帰らなかった。この祖父さん、貴族といってもかなり行動的で進取の気性が
あったようだ。でも彼の娘婿はローマ大使へ栄転を夢見て裏工作してる俗物。まァこっち
の方がロシア貴族としては典型でしょうね。その俗物親父の娘サーシャは気丈、祖父の
血が流れているのでしょう、自分の手で行方不明の探検船を探し出したい。祖父の
遺品を整理してたら手書き計画書を見つけ出した。緯度経度、そして地名から祖父
の探検船はシェトランド島の西を通り北極圏を目指していた。今まで派遣された救助
探索船はカン違いの方角をうろついたあげく手ぶらで帰港したのだと悟る。しかし高貴
のお嬢様が海図を読んでデバイダーを作りこなす技を身に着けていたとは意外。しか
もシェトランド島とは北大西洋、スコットランドの北方、ノルウェイ・ベルゲンの西方、
西経2°。この経度に注目。ロシア、バルチック海からデンマーク沖を抜け北極に向かう
ルートにしてはあまりにも西回り。水、食糧から燃料、そして時間までムダ遣いになる。
私を納得させる説明はなし。ここらあたりから脚本が練り足らないな~の感。
王子トムスキーはサーシャの父を嫌ってる。「あ奴、いつかはケ落としてやる」苦々し
そうに毒づく。が、その軽蔑理由も説明不足。おそらくは宮廷内の権力闘争、派閥対立
なのでしょうが。そうとは気づかない、いわゆる空気を読めないダメおやじは自宅大広間
でのダンスパーティーで娘を社交界デビューさせる。その私的パーティー、宴会の
音楽が生演奏! ぜいたくなのにはため息。ロシア貴族の豪勢さ、庶民との落差も
感じます。パーティー会場での会話はフランス語。当時のヨーロッパ社交界ではフラン
ス語が標準だったようです。ルイ14世、太陽王以来の習慣。
王子様と踊ったサーシャは行方不明になった探検船の再探索を直訴。殿下激怒
「不愉快だ、そんな話が出てくるとは。こんな席にはいられない」足音も荒く退去して
しまう。ところが殿下、馬車に乗ってから、お付の者に「どうだ、ワシのやり方は。今夜
は上手くいったぞ」。さっきの直訴こそ殿下にとっては格好の目ざわり者排除理由に
なったようです。

お嬢様の一人旅
父は娘を叱る「お前は何ということをしでかしたんだ! これでもう私の出世はフイだ」。
外出も禁止されてしまったサーシャは意を決し家出。自分でお爺様の船を捜しに行こう
と。そこで疑問。彼女はお金持ってたの? 今までは生活に必要な物って小間使いが
揃えてくれたのでしょう。そもそもお金の使い方さえ知らなかったはず。どうやって切符を
買い汽車を乗り継ぎ、目的港駅まで着けたの? いくら好奇心と地理の机上知識があっ
たとしてもさ。こういった生活描写シーンがまったくなし。私は違和感引きづったまま
でした。ただ彼女、今までの生活習慣で上等クラスのコンパートメントに着座。途中
で車掌の検札にあい、次のショットではぎゅう詰めの三等車だったのには笑えた。実生活
経験がない淑女ぶりを見せてくれた、ほんのわずかエピソードでした。そして着いた港
町。ここでも彼女フランス語を話してました。これには違和感。ロシアの田舎町で下々
の庶民がフランス語で話してる。まあフランス映画なんだから仕方ないか…。なんか
観客に妥協を強制します、何回も。
彼女、船員相手の居酒屋でお昼を。でも支払いができない。女将あきれて代金代わり
にサーシャを住みこみで働かせる。女将「ついておいで」。サーシャ自分のカバンは
置きっ放し。女将「荷物は持たないのかい。誰もお前さんのカバンまで運んでくれない
んだよ」、ここでサーシャの今までの暮らしとの落差を見せる。ここらあたりから、小さな
エピソードを見せ続け、やっと演出の妙が楽しめるようになった。時にほほ~う!と感心
し、にっこり笑み。たとえば毎朝女将のドラ声に叩き起こされ、居酒屋商売の仕込み
仕事。じゃが芋皮むき、玉ねぎきざみ、下ごしらえ等々追いまくられの毎日。やがて女将
に叱られなくても自分で起床、そして自分で女将を起す役に。ここらのショット積み重ね、
上手い。セリフでなく絵で見せてくれる。
その内、店を訪れた商船員と親しくなる。はいボーイ・ミーツ・ガールが逆になって
ます、この映画では。そこまではいいのです。が、彼に「北へ乗せてってほしいのです」
荒くれ野郎どもの中にたった一人のかれんな乙女ですよ、危険だなあ、常識的には。
でもこの映画、そんなことはまったく描いてない。「運賃は払うのかい」ちゅうちょして
祖父からもらった大切なイヤリングを渡してしまう。「じゃあ乗せよう。宿で待ってな。
出港の時、迎えに行くよ」。でも彼の乗船、ノルゲ号は彼女が居酒屋で仕事してる間に
出港してしまう。船長「風向きがちょうどいい。すぐ出るぞ、錨揚げ!」。ははん彼らの船
は気帆船か。19cとはそんな時代だ。ともあれサーシャはだまされた、がく然。

やっと本番 北極探検
月日は流れ再びあの船、ノルゲ号来航。船員につめ寄る彼女。やり取りを聞いていた
船長「その運賃の代わりにもらった物を返してやれ」。船員もじもじ。船長「貴様ァ、
バクチですりやがったなあ!」叩きのめす。なるほど、ありそうな話。さっきまでこの船員、
いい奴だな、もしかして二人は将来…のムードを漂わせていた。が、その程度だった。
この船長、出来の悪い青年船員の実兄でした。その責任感でしょう「だったらこの船に
乗ってけ、目的地はなるほどこちらか」緯度経度のメモを覗いて納得顔。
かくしてここからやっと本番。途中トラブル長かったけどね。航海シーンで大洋のうねり
表現はそれなりにあった。肝心の三角帆ふくらみ変化、ぶれ動きはまったく描かれて
ない。船の縦揺れ、横揺れ変化もなし。これにはびっくり、がっかり。嵐のシーンでやっと
帆が動きだした程度。作画プロはフランスやデンマークが主だが、両国とも内陸国では
ない。なのにスタッフには太洋航海の経験がなかったようだ。私、島国人の素朴な、
重大な不満です。ヒロインは「あぶないから女は船室でおとなしくしてろ」指示されても、
船員向け教科書を見つけロープの結び方(結縄方)を独習、大しけで大活躍するエピ
ソードは好ましかったけど。彼女の人となり表現で。
でも私のイラつきは氷原をそりで旅するシーンでも続いた。つまりテント張って雪上泊、
ブリザードが吹き荒れているのにテントはバタついてない。妙だぜ。どうにも風の表現
が下手。
氷山の崩落、氷山のぶつかり合いの自然描写、ダイナマイトで氷原を割り進むなど
砕氷船の運行努力などライブアクションはそれなりに見どころ。ブリザードに行く手を
はばまれ愛犬に生命を救われるエピソードは楽しい。白クマに襲われるが、遂に撃ち
殺し隊員にとって貴重な食糧となるエピソードも印象的。船員の中で最下層の少年と
うちとけた仲になるエピソードもホッとさせられる。
艱難の果て雪原で祖父の船を見つけた。氷結の廃船は無人。さらに行くと祖父の
日記発見「探検隊員は反乱、我を見捨て捕鯨船との出会いに望みを託し南へ歩き
去った。我はただ一人北へ向かう。ある地点で磁石が北を指さずクルクル不定に回り、
そこが北極点である事を確認。一人小旗を立て極点踏破を祝う」。残された日記を読み
涙にくれるサーシャ。祖父は体力尽きて凍死したのだ。しかし彼女たちの船も氷棚に
囲まれ押しつぶされてしまう。でもここらのシーンは意外なほど類型的でした。

日本のクリエーターは絶賛
部分的には印象的です、ある程度。意識的にトレス線を排した(色トレスでもない)キャ
ラクター描写は紙作画ではなくタブレットに直接描いたのでしょう。ここは巧み。でも
全体的には舞台の状況設定に無理が多すぎた。その世界には没入できなかった私
です。つまりシナリオの練り不足と状況描写の未熟。特に海洋シーンがなってない。
だから探検の苦労が伝わってこない。
故高畑勲監督は東京AAFで絶賛してたそうです。筆者の友人アニメーターも大誉め。
私一人が浮き上がってるようだ、トホホ…

プロフィール

小松沢甫アイコン

小松沢 甫 (こまつざわ・はじめ)

日本アニメーション協会 会員・歴史部会
古いフィルムの発掘、保存、公開にも努力
研究は内外の専門書で引用紹介されている
論文に「太平洋戦争とアニメーション 今日も続
く1940年体制・意外で奇妙で厳然たる事実」、
「幻の東宝図解映画社」 主著「持永只仁の足跡・
運命をきりひらいたアニメーション作家」、共著
「キネマ旬報日本映画監督全集(1976)」「山形
国際ドキュメンタリー映画祭 '91 日米映画戦」
など