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アニメーションの散歩道

アニメーション絵画の散歩道

ノルシュテイン版画展

ロシアのアニメ作家ユーリ・ノルシュテインYuri Norstein さんの版画展が
ありました。氏はソ連時代、国営スタヂオで大活躍。新作発表する度に
全世界を驚かせてきた方です。作品の魅力を言葉で紹介するのは、無理
です私には。その人の版画展、いそいそ出かけました。
会場のプラキシノスコープは山村浩二さんが半分趣味で開いている
小さなギャラリー。自由が丘駅からある程度歩き、金土曜日午後だけの
オープン。ちょっと不便。目立つ看板掲げているわけでもない。”アニメ
ーションが好きな人はいらっしゃい”みたいな仲間内アジトの感じ。
展示はジークレー版画、フランス語のジクルgicler(液体がほとばしる)から
きた言葉。パソコンなど少量印刷に使われるインクジェット印刷です。
原画をスキャンしてパソコンに取りこみ、作者立会で色校正を行い印刷
します。見た感じは原画その物。
地下のギャラリー会場にノルシュテインの世界が展示。目的は静止画
展示でアニメはエンドレスでDVD投影。彼のアニメはやはり暗い室内で
対面してこそ真価が味わえるのです。参考までにの感じ。
展示画は原画そっくりですから、懐かしさがこみ上げます。特に
「霧の中のハリネズミ」。あの霧に包まれた森の奥深さ、その中から猟犬が
現われ、ハリネズミ君をぺろりとなめるユーモア、犬は再び霧の中に消え
去り、ハリネズミは孤独と沈黙の中に戻る。あの神秘感。遠くから聞こえる
ハンターの銃声。あのムードがわっと私によみがえりました。初めて見た
時にはびっくり。「ソ連(当時)にとんでもない才能がいたぞ。一体何者だ」、
興奮。感動したのは我々日本人ばかりではなかった。世界中で騒がれ
絶賛浴びた。40年以上も昔のことです。
「あの作風は日本人の感性に近いな」と思ったら彼自身も日本の伝統
文化に関心持っていたと後に判明、何回も来日してます。遂には日本
と合作アニメまで手がけている。お互いうれしい関係になりましたね。
もっとも和食パーティで氏のハシの使い方はちと妙。まるで毛糸編み物
の編み棒みたい、両手で一本ずつ持ってお魚を味わっていた姿が忘れ
られません。あっ、今ではお上手ですヨ、

 

ノルシュテインさん(右)。(2014年1月・筆者撮影)
努力してハシでお食事中。曰く「ハシというのは手足を器用にして
脳を刺激してくれると聞いています」。リップサービス満点。

「霧の中のハリネズミ」(1975)、素朴、神秘、そしてユーモア

漫画の発明者
”マンガ”という言葉、今では世界共通語になったようです。この言葉を
初めて使った、つまり言葉の発明者は江戸時代の浮世絵師 葛飾北斎
です。今から300年ほど昔に発行された木版絵本「北斎漫画」がマンガ
第1号。もともと美術学生の教科書(絵手本)だったのですが風俗絵が
面白い、楽しいと評判で続編も発行され続けベストセラーになったそう
です。
その北斎さんの美術館が墨田区錦糸町駅近くに昨年オープン。
彼は旅にとり憑かれたように諸国を巡り、だからこそ富岳三十六景も描け
たのでしょう。観光旅行案内書みたいな意味もあったようです。彼は
浮世絵師。版画です。つまり出版物。旅先の弟子宅で描いた手描き
絵手本も勝手に出版された。著作権の考えがない時代です。おかげで
私たちも彼のテクニックを見られるのです。そのお手本、街道筋の商家や
蔵を一点透視画法で描くべしと構造図まで示して説いている。科学的な
観察眼を持ち、実行してたのですよ。
隅田川両岸景色図巻、今の東京スカイツリーのある辺りが昔は幕府の
蔵屋敷だった。米俵を伝馬舟に積み運ぶ、公儀御用を示すため白地に
赤く日の丸染めた幟を立ててます。昔から日の丸の旗は旗の中で一番
上位なのだ、暗黙の常識があった一例。ただしその旗はタテに細長く、
真ん中の日の丸もかなり大きいです。
楽しいひと時、私はなんとなく幸せな気分で会場を後にしました。

北斎富岳三十六景・尾州(今の愛知県)不二見原、通称桶屋の富士。

大工が大きな桶を作ってます。まだ底板をはってない桶の
彼方に富士山が見える。この構図はやはりマンガだ!

漫画映画創始者
漫画映画、つまりアニメーションが日本で初めて作られたのは100年前、
1917年のことです。それを記念しての企画や展示もあります。いち早く
東京駅ステーションギャラリーで開かれた「動き出す! 絵画 ペール北山
の夢」。日本アニメ創始者の一人・北山清太郎を中心とした展示会です。
北山の子孫・安田彪(たけし)氏の企画。当時の画壇で北山はパリでゴッホ
らを援助したペール・タンギー(タンギー親爺)になぞらえペール北山と
呼ばれていたそうです。
彼の油彩画もあったけど、パリ留学時代に交流のあったゴッホ、シスレー、
モネなどの絵も展示。特にゴッホの「雪原に薪を集める人びと」には
大興奮。やはりゴッホはすごい!
目的のアニメ制作風景、
・展示写真その1.ご本人和風座机に向い作画中の写真。
描いているのは原画か絵コンテかな、文鎮(ぶんちん)だけで作画用紙
を押さえてる。
・展示写真その2.北山映画製作所の室内
やはり和風座机で2人が作画中。机上の右わきと手前(作画面下)に用紙
押えの木枠が置いてあった。この木枠はおそらく可動式でしょう。戦前、
京都の政岡憲三式角(かど)合わせの先駆とも言える方法でタップは使っ
てない。自分であれこれ工夫して作ったのでしょうね。作画机も透過光式
ではありません。
後方に動画撮影スタンド。1人ないし2人従事。これで見ると全従業員は
3~4人、それにこの写真撮影者=代表の北山清太郎(推測)で多くても
合計5人位かな?
これらの写真は1922(大正11)年から翌年の関東大震災までの頃の撮影
だそうです。貴重な映像史料を残してくれた先駆者に感謝いたします。
そしてその大正時代アニメは「浦島太郎」がエンドレス上映されて
ました。海中の背景などかなり工夫して描いています。乙姫様と出会い
接待受けますが、このお姫様が団子鼻。今どきの美少女キャラではない。
時代による流行の変化を見せられた思い。竜宮城で出されたご馳走も
気になりました。まるでお刺身みたい。とすると、魚の世界では共食い
になるけど。今とは価値観、かなり違ってたなァ。

 

北山清太郎 展示写真その1 からおこした似顔絵。
2017年4月・京都国際マンガミュージアムのチラシより

 

プロフィール

小松沢甫アイコン

小松沢 甫 (こまつざわ・はじめ)

日本アニメーション協会 会員・歴史部会
古いフィルムの発掘、保存、公開にも努力
研究は内外の専門書で引用紹介されている
論文に「太平洋戦争とアニメーション 今日も続
く1940年体制・意外で奇妙で厳然たる事実」、
「幻の東宝図解映画社」 主著「持永只仁の足跡・
運命をきりひらいたアニメーション作家」、共著
「キネマ旬報日本映画監督全集(1976)」「山形
国際ドキュメンタリー映画祭 '91 日米映画戦」
など