カルチャー系ウェブマガジン「ReadingParty」

トップバナー
アニメーションの散歩道
 高橋克雄(タカハシ・カツオ)については以前、この“散歩道”2回目(2016.5)
でもとりあげてます。彼の人形アニメーションを順おって、かなり網羅して
見直そう、という催しがありました。企画者の一人は私です。

トークとピアノ演奏で観る映像作家 高橋克雄の世界

 会場は京都のおもちゃ映画ミュージアム。関東からは遠い。でも狭い会場
にアニメーションや人形劇愛好家があふれ、熱気がこもっていました。
氏の長女高橋佳里子さんが思い出をトーク。折に触れスチルや上映を
はさむ形式です。興味深かったのは全く独自に人形アニメーションにとり
組んだこと、TVアニメで初めてビデオ撮り技術を開拓したこと、カナダ国立
映画製作庁National Film Board of Canada=NFBのノーマン・マクラレン
Norman McLaren と交流し技法を交換し合ったこと、など。
たしかに彼は映画界から入った人ではなく、子供に見せる人形劇の世界
から入ってきた人だな、と理解できます。日本のTVアニメが映画というより
ストーリー マンガ家によって開拓されてきたのと、ある意味似た現象かな?
高橋人形映画も初期は舞台下からの棒あやつり、つまりギニョールguignol
や糸あやつりのマリオネットmarionette を使い流し撮りしてました。ごく一部
にコマ撮りframe by frame 、つまりパペットpuppet・アニメーションにした
シーンがあり、創意工夫の過程が見えます。ここらは興味津々。
佳里子氏「父は人形劇舞台からこの世界に入りTVの初期に糸あやつりや
木使い人形劇番組を始め、それが人形アニメーションに進みました」。
その具体例を見ましょう。

 

トークとピアノ演奏で観る映像作家高橋克雄の世界

フジTV系関西ローカル「プライムニュース イブニング」で

この催しが案内放送されました(2018.11/4 17:30~)

写真下は「ミセス21世紀」

 

ピーターうさぎの冒険
1957年 原作はイギリスのビアトリクス・ポターBeatrix Potter (1866/7~
1943/12)の児童絵本。その童話を世界で初めて映画化したそうです。プロ
ダクション タイトルが「東京中央人形劇場」で映画プロの意識は作者にも
まだ熟成されてなかった時期でしょう。そのため舞台劇をそのまま流し撮り
したような印象のショットも多い。舞台下から人形手足を操作してたり、一部
は糸吊り操作のショットもあり。パラパラまんがショットまでありました。
お母さんうさぎ「マックさんの畑を荒らしてはダメよ」、ピーター「はい、わかり
ました。…でもあの畑のニンジン、おいしそうだな」といったセリフやモノロー
グは七尾伶子。「まっく農場」なんていう看板まで画面に出てくる。そのわり
に画面は浅く動きには制約、痛快な面白さが不足しています。
“お母さんの言いつけをちゃんと守りましょう”といったお説教が鼻につきま
す。ピーターを捕まえたマックさんがお説教しただけで釈放してやるのも
甘い。そも人間とウサギが会話コミュニケーションできるのが妙。つまり原作
通りなのが映画としては不自然なのです。映画と絵本では世界が違うの
です。
おやっと思ったのは後ろ座席のおばちゃんグループの反応。アニメ仲間の
リアクションとは違い、人形のいわゆる可愛いセリフやナレーションに笑いや
合いの手の小声が上ります。新聞記事見て来訪した雰囲気。各新聞に
かなり大々的に紹介報道されました。
ピーターうさぎの冒険

新聞報道の一例 産経新聞関西版(2018.11/9 夕刊)

「ミセス21世紀」スチルを大きく載せています。

なおこのほか京都新聞、京都民報、日本経済新聞でも

好意的に掲載されました。


一寸法師
1967年 やはり東京中央人形劇場ですが、この時期には目を見張るほどの
技術昇華でした。カナダ万博日本館で公開、外務省より海外24ヵ国配給、
おそらくプリント買上げで各国駐在日本大公使館で上映希望に応じ無料
貸与上映されたのでしょう。その結果NFBのノーマン・マクラレンの目にとま
り「あのショットはどうやって撮った(特撮)のだ」質問受け、交流が始まった
そうです。カナダ訪問時の 2ショット写真も投影されました。
一寸法師がおわんのお舟にはしのかいで川を下るのは原作昔話通り。
お大臣のお屋敷で「たのも~」。門番「おや声はしたが誰もいないぞ」小さな
法師の姿に気づかない。このドタバタがいい。
夜、そのお屋敷を鬼供が襲撃。この鬼が、それぞれ角2本と1本。お供の烏
(からす)天狗の3匹。その異形ぶりは山賊というより外来侵略者、あるいは
山にこもった出稼ぎ強盗団というイメージ。重税にあえぐ人民が流民強盗化
したという解釈ではなかった。徹底して支配体制の責任は問うていません。
よく言えば児童に見せる世界、文部省路線に忠実です。打ち出の小槌で
法師が大きくりりしい若侍に変身するショットではコスチュームも体に合わせ
て大きくなってました。ごく常識的な表現で子どもにわかり易く、大人には
ちと不満。熊川半蔵「一寸法師」のようなひねりも見せてほしかったな。
高橋この撮影で大金はたいてミッチェル・カメラ買ったそうです。フィルム
送りの爪がしっかりしていてコマ重ね撮り(OL)の際ネガのパーフォレーショ
ンにきっちり合った由。

 


 1972年 「かぐやひめ」のすばらしさについては以前も書きました。ここで
使ってる人形はセラミック(磁器)造形です。この音楽(林光)を「当時の皇太
子妃(1989~2019年皇后)が大変気に入り、こちらから楽譜を差し上げた」
というエピソードがあったそうです。
御殿の美術セットでも京都御所の建物を隅々まで正しく測らせてもらい
造形組みしたとか。奥ゆきのある画面になってます。
小松沢質問「あの人形を焼くのはどこへ外注したのですか?」。アニメー
ター千光士義和氏「ウチで焼いたんですよ」、「エッ! かま(窯)がなければ
焼けないですよ」、「かまはあったんですよ、今はとり壊したようですが」、
「ガスで焼いたんですか?」「電熱です」といった楽しくもトンチンカンなやり
とりがありました。なお千光士氏は高橋スタヂオ(東京中央プロ)退職後は
奈良市へ移り、今は関西のTV関係仕事されてます。

かぐやひめ

かぐやひめ 京都御所の建築を隅々まで測定して

つくったセットの迫力にもご注目

野ばら
1977年 ブルガリア・バルナ国際赤十字映画祭レオニード・モギーLe'onide
Moguy 賞受 国内でも芸術祭賞など絶賛を浴びた作品。私としても高橋
作品の最高峰と評価。やはりセラミック製人形で画面の隅々にまで硬質の
印象が漂います。国境の尾根、高原の広々とした草原の柔らかさの中に
軍隊、軍人としての身分に縛られた悲劇を描いています。小川未明の
原作「野薔薇」は1922年発表。いわゆる大正デモクラシー、比較的自由の
風が吹いていた時期でした。だからこそ世に出せたのでしょう。
舞台は山々の稜線、自然にできた国境。旅人も少ない。この監視所に
至るまでの山道が不便、つまり辺境の地なのでしょう。だから国境監視所も
形式的になる。それぞれ小さな一軒屋、たまに水、食料の補給は届くので
しょうが。いや水は深井戸掘って自給しているのかな? 守備兵も両国とも
一人づつ。やがておしゃべりもしたくなる。雑談、陸続きでは言語も似通っ
てるのでしょう。夜の非番には将棋つまりチェスを指す仲。それしかやる事
ないんだから当然。ところがその両国が戦争。若い兵は前線へ出陣。心を
通わせていた敵国老兵と最後の別れ。老兵「私はこれでも将校。私を殺せ
ば手柄になる」。「どうしてあなたを殺せましょう」。やや説明的なセリフだ。
でもこれまで背景自然描写、雑談、将棋、一人になってからの生活描写を
見てるので特にうるさくは感じない。「敵国」老兵一人となった国境。やがて
ふもとから久しぶりに旅の一行。そしてうわさ話「戦争は終わったョ。あの国
は負けた」。終始一人のナレーターで説明進行。でも単純に飽きることは
ない。その夜老兵の見る夢、あの“敵国”の青年兵は将校に昇進したのか、
騎乗で一隊の歩兵を率いている。全員無言で行進。セラミックの材質が
その非現実感を際立たせている。彼らは全滅したらしいと観客も悟る。
やがて老兵は暇をもらい退役。無人となったかっての国境、そこにはただ
一本の野バラが美しく花咲いていた。…戦争の虚しさ、庶民には虚しいの
だ、この事実を深く印象づける。
不満としては平凡な日常シーンでも人物(人形)が光っていた。やや違和
感覚えました。
まったくの自主製作。高橋夫妻が主要スタッフ、音楽(林千尋)では東芸
大で学生が教室で演奏、それも窓に毛布張って遮音したとか。悪条件と
戦いながら、よくぞ作ったり。
なおこのスライド版もあるようで、私の友人は何と山形ドキュメンタリー映画
祭でそれを見て大感動してました。あの映画祭、時々味なことやるね。

この他NHK・TVの番組予告のバックで放送された世界名作童話シリーズ
などなつかしい映像もありました。そしてとんでもない大作登場!
野ばら

野ばら 画面に漂う透明な空気が印象的


ミセス21世紀
1970年 これがめっけもの。大阪1970年万博 日本政府館“21世紀の生活”
テーマ映像展示用アニメーションだとか。原画・杉浦範茂(スギウラ・ハンモ)。
あの万博、やたら大混雑、押すな押すな。よく言えば大好評。私はうんざり
した思い出しか残っていません。日本館にも入らず、いや入れなかった。な
のでこのアニメは初めて。杉浦範茂はイラスト畑の出身で児童文学の挿絵を
多数描いていました。中でも「少年と子だぬき」佐々木たづ作は持永只仁
によって人形アニメ化されています。
このミセス、映像はあまり動いてない。でも実にモダンなグラフィティ。50年
後の現在でも商業デザインにそのまま転用できる。半抽象画のヒロインが
幼児を抱っこしているが、時代を超えた親子の愛情が漂っています。色彩
の明るさも魅力。まるでドローンみたいな飛行体まで登場。あれは何だった
のか? とにかく当時想像された30年以上も先の時代。背景がほとんど描か
れてない。そこがかえって現代風なのです。
この上映展示会をきっかけに故人の作品を整理してたら再発見された
そうです。小会場での上映だけではもったいない。もっともっと多くの皆さん
に見てもらいたい。痛切に感じました。

 

 

ヒルダ逝く

大塚康生さんを囲む会
日本のアニメ界には作画監督という独特の制度があります。多数の作画
スタッフが召集される長編製作で絵柄の統一を図るため、ある意味自然
発生的に設けられた仕事です。TV向けがアニメ産業の中心になり外注先
が増えるにつれこの“作監(サツカン)”はますます重要になり今日に至って
います。初めての作監が大塚康生(オオツカ・ヤスオ)、月岡貞夫の両氏。1963
年「わんぱく王子の大蛇退治」(D:芹川有吾、音楽:伊福部昭)、クライマッ
クスが勇壮華麗な大空中戦。その陰には大塚の獅子奮迅があったのです。
さらに大塚が制作も兼ねたのが1968年「太陽の王子ホルスの大冒険」(D:
高畑勲、音楽:間宮芳生)。私はリアルタイムでホルスを見てます。美しさに
うっとりし自然の厳しさと闘う人間の生活に大感動、大いに勇気を与えられ
たものです。
ただし映画館興行では大失敗に終わったのでも有名なのです。映像には
児童には理解できない形而上学な概念もあったのです。ある友人は映画
館で「ママ、つまんないよ、帰ろう」の声を聞いたそうです。しかし高校生
以上の年代観客には大感動を与え、アニメーションという迷いの森に引き
ずり込んだものです。ハイ私もその犠牲者の一人です。別の友人は50歳代
になってもヒロインのヒルダが大好き、「ヒルダファンクラブ」を名のっていま
す。
その大塚康生氏より「ホルス回想談をお聞きする会」があり、私も出席しま
した。氏は1931/7のお生まれ、昔は4輪駆動車を駆って意気軒高、今は
80歳代後半、お歳は隠せません。しかしホルスの思い出話はやはり聞いて
楽しい。会場の東京工芸大教室には熱心なファンがあふれ、幸せなひと時
でした。「あのホルスが大赤字になって、ボクは東映動画をクビになったん
ですよ」、アニメ村では有名な伝説です。そしてホルスが上映されました。
大画面で見るのは久しぶり。湖畔の廃墟の村、ホルスとヒルダの初めての
出会い、美しいキャラクターは森康二の設定。ヒルダ「あなたはだあれ?」。
印象的な問いかけが耳に残っています。
市原悦子さんが!
その二ヶ月後、「市原悦子さん死去」の報。マスコミはTVドラマ「家政婦は
見た!」、TVアニメ「まんが日本昔ばなし」を代表作にあげていました。しか
し私にとってはあのヒルダの声優。衝撃でした。
2019年1/12逝去、82歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。
ある友人から「ヒルダ逝く」のタイトルでメイルを受信。私と同じ気持ちだっ
たのでしょう。私もそのフレーズをここで使わせていただきました。

太陽の王子 ホルスの大冒険

太陽の王子 ホルスの大冒険

東映アニメーションの株主優待QUOカード

私も零細株主の一人です

 


この他、イタリア アニメーションの大力作についても書きたいのですが、
今回の散歩道、長くなり過ぎました。次回に回しますね。


プロフィール

小松沢甫アイコン

小松沢 甫 (こまつざわ・はじめ)

日本アニメーション協会 会員・歴史部会
古いフィルムの発掘、保存、公開にも努力
研究は内外の専門書で引用紹介されている
論文に「太平洋戦争とアニメーション 今日も続
く1940年体制・意外で奇妙で厳然たる事実」、
「幻の東宝図解映画社」 主著「持永只仁の足跡・
運命をきりひらいたアニメーション作家」、共著
「キネマ旬報日本映画監督全集(1976)」「山形
国際ドキュメンタリー映画祭 '91 日米映画戦」
など