カルチャー系ウェブマガジン「ReadingParty」

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アニメーションの散歩道

アニメーションを徹夜で見よう会

 珍作、快作、感動作いっぱいの交流会

 アニメ大好き仲間で毎年泊りがけの交流会を開いています。全国総会と呼んで
ます。知らない人と仲良くなりたい、珍しいアニメを見たいと集まってます。

アメリカ でいうconvention (集合)に似てるかな。東京、静岡、名古屋、関西の

サークルが 持ち回りで毎年開催。各地サークルは4年に1度なので、主催する

負担は軽く なり、半世紀近く続いています。今年は第47回、東京は本郷の旅館で。

担当の動画倶楽部は東大OBがメイン。学究的(?)運営がウリ。


 

 特別企画その1.全国47都道府県アニメご当地めぐり

なんとTVアニメから各地風物シーンをえりすぐり見せてくれました。北海道は
サザエさん』(1969~ ・フジTV)オープニング。この番組、オープニングの
バックで各地観光地をサザエさん一家が旅行してました。そこをビデオ流用。
富良野牧場、層雲峡など。茨城県なら『ガールズ&パンツァー』(2012・アクタス)
舞台の大洗海岸。あのアニメ、奇想天外バカバカしすぎました。英語ドイツ語
ごちゃ混ぜタイトルは嫌いですが。埼玉県は『らき☆すた』(2007・京都アニメー
ション)筆者はその久喜市鷲宮町に住んでます。近くの神社が舞台なので、もう
爆笑。愛知県からの参加者は名古屋駅や市内風景に大喜び。沖縄まで巡って
ラストの東京は、なんと総会々場の旅館前で参加者一同の集合ポーズ。
ここだけはオリジナル映像。ううんやったねえ!満場感動と驚き。よくもまあ
手間かけ 題材集め再編集したものです。アニメ大好きだからこそできた。

47回と47都道府県の語呂あわせもうまい。

 

 

 特別企画その2.実写の中のアニメーション
実写映画やTV番組でアニメが特効として使われる例はよくあります。そこで映画
のあのシーンこのシーン、アニメ集。これもまあ、よくも集めた!
『錨を上げて』。ジーン・ケリーがアニメのジェリーねずみとタップダンス共演。
これが完全にシンクロ。調べたら1945年7月公開、太平洋戦争末期。海軍を舞台
にして一応戦意高揚の国策に沿ったポーズ。でも中身は歌って踊って恋をして。
戦争のセの字も出てこない。日本人が食うや食わずで空襲におびえていた時代
ですよ。その国力の格差! ため息がでます。

 

 

 

錨を上げて
写真1.「錨を上げて」。ジェリーと踊ったのはジーン・ケリー(右)

 

トムとジェリー

写真2.メトロアニメのスター、トムとジェリー
この映画ではトムはわき役。ネズミのジェリーがカッコよかった

 

 

日本のTV番組で
九重佑三子ちゃんの『コメットさん』1967~68国際放映。彼女は地球へやってきた
宇宙人。身分を隠してある家庭のお手伝いさん。こんなインベーダーなら大歓迎。
その家の2人のやんちゃ、ちょっぴり悪い子兄弟とのからみがドラマ。男の子の
いたずらをこらしめ教育。魔法のバトンをふり次々と奇跡をおこします。この特撮が
楽しく視聴率も高かった。実写特撮は築地米三郎。この人、大映でガメラなんか
撮ってた大ベテラン。アニメは東京ムービーの芝山努や椛島義夫。あの『ガンバ
の冒険』コンビ、実力派。30分番組でも見ごたえあったのも当然。シリーズ途中
からコメットさんの相棒としてチビッ子恐竜ベータン出演。背高30cmくらい、縫い
ぐるみ人形。ねこちゃんぐらいの大きさで実写ドラマの中でチョコマカ動き回る。
このおチビちゃんを人形アニメで動かしてたのが真賀里文子。その大御所様が
ベータン持参で登場。会場一気に燃え上がりました。その談話:
私は初めは人形で呼ばれたのではなく、その前、第5話から実物コマ撮りの
ある回には応援に入ってました。特撮の一部です。動体を透明ガラス板に両面
テープで貼りつけて撮りました。当時はまだ粘着強さで適当なのがなく、苦労
しました。人形アニメが出たのは14話から。ベータンをシッポのある恐竜形にした
のは、この大きさでは2本足で立たせたらフラついちゃう。シッポでも支える3点支え
にしたのです。手足には鉛線入っていて動かしました。人形は2体作り、1体を
クリーニングしてる時はもう1体を使ってました。毎週30'番組だったので忙しくて。
(上映シーンを示し)この回はセットではなく土の庭で2コマづつ撮りました。
氏は阿佐ヶ谷アニメ学校で人形アニメ製作法を教授されています。慣れている
からでしょう。発言明瞭。わかりやすい。ありがたい授業でした。先日の広島国際
アニメ・フェスでは選考委員を努められましたが、その選考試写会内輪話:
応募作2,248本、次々と上映してインコンペ60本選びます。5人の選考委員が
“これはつまらない”と思ったらダメだしボタン押す。そのダメ・ランプが3人から
出たら失格。日本人作家では山村浩二さんなど4本しか残り ません

でしたね。そんな厳しい関門ですが、誰一人赤のダメランプ押さなかった
のがエストニア出品『ピアノ』(カスパー・ヤンチス監督)。すばらしい作品です。
ところがあれ、審査で何の賞も取れなかったのよ!

 

コメットさん(九重裕三子版)

写真3.昔なつかしい「コメットさん」(九重佑三子版)
人気あったので後にヒロイン大場久美子でも作られました

 

 

怪快作登場

夜更けにとんでもない映画。『タヌキ紳士登場』1948、東宝・吉本プロ、出演
横山エンタツ・花菱アチャコ・柳家金語楼、監督小田基義、原案は飯沢匡、後に
児童向けラジオドラマや童話で活躍された方。敗戦直後はこんな事してた !!
大泉スタジオで撮影されたとか。当時東宝は空前の労働争議中。自社スタジオ
で撮影できなかったのでしょう。また大泉スタジオとは後に東横映画と合併して
東映になった会社。いや、そんな事どうでもいい。驚いたのは開幕早々、たぬき
山の一族が腹づつみ打ってる宴会シーン。アニメです。BGMは「証城寺のタヌキ
ばやし」。長老タヌキ「こりゃエンタツ狸、アチャコ狸、近頃人間界には我々よりも
人をだます悪党がはびこっているそうじゃ。お前ら2匹は人間界に出向いて
悪人どもをこらしめてまいれ」。その2匹が本人そっくり似顔絵マンガ。彼らが
山を下りるシーンから実写お笑いに入りました。こんな映画があったんですねえ。
この日本に。主催者「アニメ部門のスタッフ名はどこにもありません。小松沢サン、
誰だかわかりますか?」。急にご指名受けた私、オロオロ。「戦時中の東宝航空
教育資料製作所の流れ、湯原甫、市野正二さんあたりじゃないでしょうか」。
この推測、意外と正しいと今でも思います。あそこには線画撮影スタンドがあった。
当時としては貴重な設備。名前を出さなかったのは、逆に目立って戦犯や公職
追放糾弾されるのをはばかったからではないでしょうか? 戦時中は爆弾を正確に
目標に命中させる方法など軍事教育線画(アニメ)製作に専念していた人たち
なので。

 

タヌキ紳士登場

写真4.「タヌキ紳士登場」東宝・吉本興業
現実逃避のお笑い調ポスター

 

 こんな熱気が徹夜で繰り広げられたのです。でも筆者は老人。深夜1時過ぎ
にはダウン。来年の総会は淡路島で 10/28~29。地元阪神アニメ・グループ
主催です。ぜひご参加ください。問合せ hiraoka.yoshikazu@nifty.com

 

 

プロフィール

小松沢甫アイコン

小松沢 甫 (こまつざわ・はじめ)

日本アニメーション協会 会員・歴史部会
古いフィルムの発掘、保存、公開にも努力
研究は内外の専門書で引用紹介されている
論文に「太平洋戦争とアニメーション 今日も続
く1940年体制・意外で奇妙で厳然たる事実」、
「幻の東宝図解映画社」 主著「持永只仁の足跡・
運命をきりひらいたアニメーション作家」、共著
「キネマ旬報日本映画監督全集(1976)」「山形
国際ドキュメンタリー映画祭 '91 日米映画戦」
など