カルチャー系ウェブマガジン「ReadingParty」
前回から、長く間が空いてしまってすみませんでした。前に予告した様に「若草物語」の大正時代の訳について書こうと思う。まず、「Little Women」(若草物語)の最初の出だしの原文を引用しよう。
|
「Little Women」挿絵
大正12(1923)年の内山賢治のタイトルは、「四少女」である。1回目で書いたように「若草物語」というタイトルが初めて使われたのは、昭和9(1934)年の矢田津世子訳以降なので、「若草物語」というタイトルはまだポピュラーではなくて、使われていない。内山賢治の訳を引用してみよう。
「四少女」
「クリスマスだってプレゼントがなくつちや、ちつともクリスマスぢやありやしない、」 家庭文學名著選 第七巻 「四少女」オルゴット著 内山賢治譯 大正十二年 八月二十二日発行 春秋社
|
明治時代の北田秋圃訳に比べると、旧かな使いはあるが、例えば、マーガレット・マーチを、新藤菊枝、ガーデナー家を花園家のように無理に日本名にするような事も無く、「眞實に世の中は不公平だと思ッてよ。」という今はほとんど使わないようなセリフも無くて、かなり読みやすいと思う。目次も現在出版されている翻訳本の目次に近い。表を作ってタイトルと各章の目次を比較してみた。
若草物語 翻訳された年代によるタイトル・目次の比較
Louisa May Alcott |
北田秋圃訳 |
内山賢治訳 |
松本恵子訳 |
|
Little Women (タイトル) |
小婦人 |
四少女 |
若草物語 |
|
Playing Pilgrims |
降誕祭 の 用意 |
巡礼ごっこ |
巡礼遊び |
|
Merry Christmas |
樂しき 降誕祭 |
楽しいクリスマス |
祝クリスマス |
|
The Laurence Boy |
花園家 の 夜會 |
ラウレンスの |
ローレンス家の |
|
Burdens |
姉妹 の 重荷 |
重荷 |
重荷 |
|
Being Neighborly |
お 隣 同士 |
お隣り同士 |
お隣同士 |
大正時代と現在の訳は、英文の目次をほぼ素直に訳している。明治時代の目次で、第一章の“Playing Pilgrims” (プレイング ピルグリムズ)を「降誕祭の用意」、第三章の“The Raurence Boy”(ザ ローレンス ボーイ)を「花園家の夜會」としたのは、原文のタイトルを直訳するよりも、その章の内容を紹介するような目次をつけたと思われる。昭和9(1934)年の矢田津世子訳の「若草物語」は、映画の公開に合わせて出版されたノベライズ的な本なので、目次も、第一章「四人姉妹」、第二章「お母さん」、第三章「クリスマスの朝」、第四章「ローレンス少年」、第五章「ローレンス氏」、第六章「舞踏會」となっていてオリジナリティが強い。その他、新潮文庫と同年に出版された角川文庫の吉田勝江訳は、「 巡礼 ごっこ」「楽しいクリスマス」「ローレンス少年」「重荷」「おとなり同士」となっていて、内山賢治、松本恵子訳と同様、正統派の訳である。第一章の目次「巡礼ごっこ」というのは、少しわかりにくいかもしれないが、四姉妹がそれぞれの欠点を克服して、より良い人間として成長していく過程を「巡礼ごっこ」と呼んでいて、著者であるルイザ・メイ・オルコットのこの本に於けるテーマが示されたものだと思う。
「若草物語」 ジョーは一方の手におおいをかけた小鉢を棒げ、一方にはべスの三匹の子ねこを抱き、ばら色の親切な顔をして、打ち解けたようすで現れた。
|
このように「若草物語」の新潮文庫の翻訳本では、「ブラマンジュ」、あるいは「白い牛乳菓子」となっている。角川文庫の吉田勝江訳でも「ブランマンジェ」となっている。これは、明治時代ではどの様に訳されているのだろうか?
「小婦人」
孝「
眞
實に来ましたよ、お
母樣
が
宜敷
つて‥‥
然
して
出來
る
丈
の
事
をしてお
上
げつて、
此
のブラマンジ
菓子
)は
姉
さんが
美味
く
製
へたのを
少許
り
持
って
行
けつて
云
ひましたから‥(~中略~)
孝
が
包
を
解
くと
中
から
緑
葉
と
露子
の
愛
して
居
るゼラーニームの
深紅
な
花
で
飾
つたブラマンジが
出
た。
|
意外な事に、明治時代の訳では、ブランマンジェは、「ブラマンジ」となっているし、ゼラニュームも「ゼラニーム」と音読みのままで、かなりモダンな感じがする。訳が難しかったからかもしれないが‥。それにしてもエミイのゼラニュームが露子(べス)の物になっているのは、間違いかもしれない。大正時代の訳はどうなっているだろうか。
「四少女」 「さあ
参
りましたよ、お
荷物
まで
背負
って、」とジヨーは
元気
よく
云
った。「お
母
さんが
宜敷
申
しました。お
母
さんはあたしがお
役
に
立
てば
結構
だつて
申
しました。
姉
さんは
白
ジエリーを少し
寄越
しました。お
美味
く
拵
へたんですよ。」 ~中略~
「四少女」 著者:オルゴット 翻訳:内山賢治 大正12(1923)年 春秋社 |
このように、大正時代の訳では、ブラマンジェは「白ジエリー」となっている。間違いではないが、あまり美味しくなさそうである。同じ様に、昭和9(1934)年矢田津世子訳の「若草物語」も「白ジエリ」ーであった。牛乳で作ったのか、アーモンドミルクで作ったのかはわからないが、「ミルクジェリー」と訳した方がどちらかと言うと美味しそうである。大正時代までは、ジェリーの「ェ」のような小文字をあまり使わない事も解った。その他、昭和8(1933)年の「小婦人」(翻訳:平田禿木 外語研究社)では、ブラマンジェは、「 白果漿 」、ゼラニウムは、
「 葵 花 」というルビが打ってあって、かっこいい。この「小婦人」は、他の小説と一緒に収録されていて、「若草物語」の全訳ではないが、モダンでおしゃれな印象を受ける訳であった。
ブラマンジェ(制作:本田)濃厚牛乳とアーモンドミルクと生クリームをブレンドして、
ハート型にしてみました。ゼラチンよりもコーンスターチを多くしたので柔らかいです。
周りのフルーツソースは、缶詰のパインとみかんをミキサーにかけた物です。
「若草物語」第三章「祝クリスマス」で、クリスマスの朝食を近所の貧しいフンメル一家に持っていく話がある。クリスマスの朝食は、ハンナが腕をふるって作ったマフィンやクリーム、そば粉のお菓子などが並んでいる。マーチ家も裕福なわけではないので、このような朝食は特別な日のごちそうだし、母親が朝から外出して、1時間近く待たされているため、少女たちは、おなかがすいている。しかし、母親は、その朝食を貧しい一家にあげるように言うのである。この「マフィン」や「そば粉のお菓子」を明治時代にはどのように訳していたのだろう。原文は、
|
上の様になっている。明治時代の訳だと、
恵「 私 は 乳酩 とお 菓子 を 持 って 行 くわ。」 菊 枝 はもう 蕎麦 や 麺 包 などを 大皿 に 入 れて 居 る、
「小婦人」 著者:アルカット 翻訳:北田秋圃 明治39(1906)年 彩雲閣 |
クリームは、「 乳酪 」、マフィンは、「お菓子」となっていて、具体的な名前は書いていない。「蕎麦」というのは、日本蕎麦と間違えそうである。「 麺 包 」という漢字が難しい。
大正時代の訳では、
「あたしクリームと 輕 焼 を 持 つて 行 つて 上 げるわ」とエ―ミ―は、 元氣 よく 一番 好 きなものを 手放 して 云 った。メグは 早 くも 蕎麦 を包み、パンを大きなお 皿 に 盛 っていた。 「四少女」 著者:オルゴツト 翻訳:内山賢治 大正12(1923)年 春秋社 |
「クリーム」は漢字でなくなっているが、マフィンが「輕焼」というのは、おもしろい。
そば粉のお菓子は、やはり「蕎麦」である。大正時代には、パンは、漢字ではなく、今と同じで「パン」となっている。昭和に入ってからの訳はどうなっているだろうか?
「小婦人」 翻訳:平田禿木 昭和8(1933)年 外語研究社 |
「クリーム」は、「 乳酪 」と漢字に戻っている。「輕焼煎餅」は「かるやきせんべい」ではなく、「マフイン」である。「クリイム」というルビは、「クリーム」よりも濃厚な感じで、なんとなく美味しそうである。「蕎麦粉のお菓子」というのは、現在の訳に近い。その1年後の矢田津世子の訳はどうなっているだろうか?
「若草物語」著者:オルコツト 訳・編:矢田津世子 昭和9(1934)年 |
矢田津世子が訳と編集をした「若草物語」は、翻案してあるため、原文をそのまま訳したものではないのだが、マフィンは、やはり「輕焼」、クリームは今と同じで「クリーム」となっている。そば粉のお菓子については、省略されている。一様に「マフィン」と「蕎麦粉のお菓子」の訳にはみんな苦労しているようである。しかし、大正時代の始めには、ごく一部だと思うが、マフィンは、売られていたようである。東京国立文化財団研究所の研究員で、建築物や美術工芸品などの修復保存を研究した保存科学者、岩崎友吉(1912の「大正っ子のおしゃべり」というエッセイにこのような文が載っている。
「大正っ子のおしゃべり」 著者:岩崎友吉 昭和50(1975)年 日本放送音楽出版会
「大正っ子のおしゃべり」 パン 私の家から商店街の方へかなり歩いて行くと、左側にお寺があって、その石段下に一軒のパン屋があり、いつも鳥打帽をかぶった白いひげのおじいさんがいた。そこはフランスパンなどの他に、頭の割れていない重そうなパンがあった。マフィンであった。父はこれを見つけて子供のように喜んだ。昔住んでいたアメリカを思いだしたのであろう。初めてこれを買った時、白ひげのおじいさんは、「これはアメリカでね、朝めしにちょっと焼いてくうんです」と説明した。父はにこにこ聞いていたが、「あいつはなかなかハイカラだね。アメリカにいたんだね」といいながら、マフィンを平らに二つに切り、こんがり焼いてバターを塗って食べさせてくれた。おいしかった。 「大正っ子のおしゃべり」 著者:岩崎友吉 昭和50(1975)年 日本放送出版協会 |
これは、著者の子供時代の思い出で、大正時代の始め頃の事らしい。著者、岩崎友吉の父は、貿易商で、家は横浜だったそうなので、かなりモダンな家である。マフィンには、カップケーキのような甘いマフィンと朝食に食べるイングリッシュマフィンがあるが、これは、「重そうなパン」と書いてあるし、バターを塗って食べたということなので、イングリッシュマフィンかもしれない。マーチ家の朝食のマフィンは、クリスマスの特別の朝食で、クリームを添えてあるし、「輕焼」という訳や、エイミーの好物となっている事から、甘いマフィンではないかと思われる。 “the buckwheats”については、蕎麦粉のパンケーキではないかと思う。このように、食べ物一つ取っても時代を経て訳が変わっていくところが面白いと思った。
ブルーベリーマフィンとイングリッシュマフイン
近くのパン屋さんで買い集めた物です
Tweet
イラストレーター
学習院大学文学部史学科卒業。デザイン会社「アール・プロジェ」やアニメーション製作会社「シャフト」で働く。
1990年テレビ東京「水木しげるスペシャル」のアニメ美術を担当。1994年キャノンカレンダーコンテスト入賞。日本図書設計家協会に入会。
2004年アニメーション研究同人誌「シネマテック」発行。2006年「JA通信」のイラストを描く。2010年洋泉社のムック本のイラストを描く。
2011年から「東京展」出品。2013年日本グラフィック協会に入会。「現創展」のキャラクターアート部門で金賞受賞。2014年日本図書設計家協会退会。
2018.6.26
文学と映画1 若草物語 4
2017.7.15
2017.4.12
文学と映画1 若草物語 2
2017.3.9
2016.12.19
明治時代のクリスマスと日本初のサンタクロース小説 「さんたくろう」について🎄
2016.10.22
2016.10.14
2016.8.17
2016.7.19
2016.6.4
2016.4.28
2016.3.21
ニコライ・ゴーゴリの「ヴィイ」と「妖婆・死棺の呪い」