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今回は、「ヴィイ」を民俗学的に考えていこうと思う。と言っても、民俗学の専門家ではない事とスラブの吸血鬼については、民族や地域で様々な呼び方があって、かなり複雑で語学の知識も必要なので、ここでは簡単にまとめた紹介だけにとどめておきたい。
ゴーゴリは、「ヴィイ」の注釈で「この物語はそっくりそのまま民間の伝説である。わたしはこの言伝えに少しも手を加えまいとした。」と書いているが、これは物語にリアリティを持たせるためであり、明らかにゴーゴリが創作した文学作品である事が通説となっている。しかし、河出書房新社の「ニコライ・ゴーゴリ全集2」の解説によると、ソ連科学アカデミー版「ゴーゴリ全集」15巻(1935年)の注釈に次のような民話が紹介されている様である。
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この民話がいつ、どの地域で採集したものかわからないが、かなり「ヴィイ」のストーリーと共通する所が多い。ゴーゴリは、ウクライナやロシアの民話を集めて得た魔女譚をベースとして、それに学生やコサック達の写実的な生活描写を加え、「ヴィイ」を創作したとものと思われる。
図版1 西暦2000年の東欧の地図
1 悪人、罪人 2 鳥や猫などの動物が死体の上をとび越えた場合 3 宿命によってなる者。聖週間に正式な夫婦でない男女から生まれた人。赤い羊膜をつけて生まれた子供など 4 自殺者、変死者だそうだが、百人長の娘は、ホマーに殴られた事が原因となって死んだので、変死とも言えるが、それ以前に魔女であった。私はなんとなく娘が自分の意志で魔女になったというより、生まれつきと言うか宿命的なものがあったように思っていた。しかし、ウクライナの民話で、美しく高慢なために村の男達を寄せ付けなかった娘が、裕福で美貌の青年に魅かれる。その青年は吸血鬼で、そのために娘の両親が急死し、娘も死んでしまうが、墓から生えてきた植物の花の中から再生し、本当に娘を愛していた村の青年と結婚する。といった話があるそうである。ゴーゴリは、百人長の娘についても吸血鬼の青年と係わりがあったような裏設定を考えていたのかもしれない。「ヴィイ」の魔女は、生きている時は、野犬のようになって子供の血を吸い、死後は生きた死体となってホマーに襲いかかることから、人狼、吸血鬼の性質を同時に持っていることに特徴がある。この混淆はどの様にして起こったのだろう。そして吸血鬼とは、一体何だろうか。
■東欧から広まった吸血鬼信仰 ~キシロヴォ村の実際の事件より~
西ヨーロッパでは、18世紀以前は、人々は吸血鬼の存在を知らなかった。例外はあるが、吸血鬼を表すVampire(バンパイア)という言葉が一般化されたのは、18世紀初頭からであり、それは、1725年のキシロヴォ村の事件によるものである。セルビア人の居住地であったキシロヴォ村は、当時ハンガリー領でオーストリア軍の占領下にあった。その事件は1925年7月25日のウィーン新聞に載り、ヨーロッパじゅうに知られるようになった。
キシロヴォ村の事件
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同様の事件は、その後も東欧で頻発し、17世紀末から18世紀にかけてドイツ、フランスで吸血鬼に関して哲学、神学、医学などの立場から論考がなされ、膨大な文献が残された。また、文学界でもバイロンの主治医であったジョン・ポリドリ博士が、1819年に世界初の吸血鬼小説※1「吸血鬼」を書き、それ以降、西ヨーロッパでは吸血鬼ブームが起きて、ゴシック小説のテーマとなった。今でも世界的に知られている吸血鬼小説、シェリダン・レ・ファニュの「カーミラ」(1872年)やブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」(1897年)などが発表され、演劇にも影響を与えるようになった。
※1 それまでバイロンなどによる吸血鬼の詩はあったが、小説はこれが最初である。
■ 吸血鬼の定義
吸血鬼の定義については、セルビアの民族学者ヴーク・カラジッチ(1789~1864)が「セルビア語辞典」(1818年)に記しているが、引用すると長くなるので、省略する。だが、簡単に言うと「吸血鬼とは、肉体を持って墓から帰還し、生きている人間の血を吸って生命力を奪う死者」という事である。しかし、吸血鬼にも様々なタイプがあり、必ずしも血を吸うとは限らない。例えば種村季弘氏が紹介している「死餓鬼」のように、墓の中で生きて、自分の屍体を食べたり、人の首を絞め、直接血を吸うわけではないが、犠牲者が影響を受けて衰弱して死に至る事もある。一種のエネルギーバンパイアと言ってもいいだろう。やはり吸血鬼とは、スラブ地域では「生きている死体」を指すのではないだろうか。
図版2 「吸血鬼伝承 生ける死体の民俗学」著者:平賀英一郎 2000年 中公新書
こうして見ていると吸血鬼の事例が多く報告されたのは、18世紀以降の事なので、新しい概念に思えるが、古代ギリシャにもラミアやエムプーゼといった人の血を求める存在があった。しかし、「これらの半神や怪物はもともと非人間的存在であって、吸血鬼本来の、墓場から蘇って生血を求める人間の死者という定義からはまだいくばくかの距離がある。」と種村季弘氏は、「吸血鬼幻想」(河出文庫)の中で書いている。「実際、古代ギリシャには死後腐敗することのない死者について述べた記述はなく、ようやく8世紀に入ってはじめて、蘇生した屍体に関する文献を見ることができる。いうまでもなく、それは中世ギリシャにキリスト教が流入し、したがってまたその影の部分たる悪魔信仰が蔓延した時代である。」(吸血鬼幻想)スラブ世界は正教徒の民族が多い。正教では、「正教会を破門された人間の死体は神罰を受けていて腐敗しない」という考えがあった。また、古代ローマやギリシャでは、火葬が一般的であったが、キリスト教は最後の審判の日、死者達は、墓から起き上がり、神の審判を受けなければいけないため、「キリスト教に改宗することは土葬を受け入れることを意味した」と平賀一郎氏は書いている。やはり、吸血鬼信仰とは、異教とキリスト教が混在したもので、スラブ地域に吸血鬼信仰が多いのは、正教の死体の腐敗に対する考え方に因るのかもしれない。続く
図版3 「スラヴ吸血鬼伝説考」 著者:栗原成郎 1980年 河出書房新社
次回は、魔女、吸血鬼、人狼などの混質性と水木しげるが「ヴィイ」を翻案して描いたマンガ「異形の者」と「死人つき」について考えてみたい。
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イラストレーター
学習院大学文学部史学科卒業。デザイン会社「アール・プロジェ」やアニメーション製作会社「シャフト」で働く。
1990年テレビ東京「水木しげるスペシャル」のアニメ美術を担当。1994年キャノンカレンダーコンテスト入賞。日本図書設計家協会に入会。
2004年アニメーション研究同人誌「シネマテック」発行。2006年「JA通信」のイラストを描く。2010年洋泉社のムック本のイラストを描く。
2011年から「東京展」出品。2013年日本グラフィック協会に入会。「現創展」のキャラクターアート部門で金賞受賞。2014年日本図書設計家協会退会。
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