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映画と文学
ニコライ・ゴーゴリ「ヴィイ」と「妖婆・死棺の呪い」5

「ヴィイ」に於ける魔女と人狼、吸血鬼複合の原因と水木しげるの翻案マンガについて

  • 魔女、人狼、吸血鬼複合の原因

4回目に引き続き、「ヴィイ」の民俗学的考察をしているが、これまで読んでこられた方は、スラヴ地域の民間信仰に於ける魔女、人狼、吸血鬼の概念が、私達が今まで童話や小説、映画などを通して知ったものとかなり違っていると感じられるだろう。「ヴィイ」の魔女が同時に人狼、吸血鬼の性質も兼ねている事は、どのような信仰に基づくのだろうか。「スラヴ吸血鬼伝説考」(著者:栗原成郎 河出書房新社)には次のように書いてある。

 

「スラヴ民族においては吸血鬼信仰と人狼信仰とは密接な不可分の関係にある。吸血鬼と人狼の混淆が最も顕著に見られるのは南スラヴにおいてであり、その民俗的な影響下にあるギリシア、アルバニア、ルーマニアにおいても事情はほぼ同様である。とくにユーゴスラビアにおいては吸血鬼と人狼は完全に同一視され、語源的に「狼の毛皮を着た者」を意味する「人狼」と「吸血鬼」の両方の意味を兼ねる。」 また、平賀英一郎氏は、吸血鬼の名称を4系統に分けている。

  1. vampir/upir系 バルカンのスラヴ人、ポーランド人、スロヴァキア人、ウクライナ人、白ロシア人など
  2. vukodlak系 セルビア、ブルガリア、ギリシア、アルバニアなどバルカン系の諸民族、ル―マニア人
  3. strigoi系 ポーランド人、スロヴェニア人、ルーマニア人など
  4. moroi系 ルーマニア人、チェコ人

2のvukodlak(ヴコドラク 人狼)系はすでに説明したが、3の「strgo(ストリゴイ)の語源は、 「古代ローマの怪鳥ストリクス(strix)で、鳥の姿に化けた魔女とも考えられていた。イタリア語のstregnは「魔女」の意味であるし、ルーマニア語でもそうである」と書いている。つまり、もともと語源的に魔女、人狼、吸血鬼が複合していることが多いのである。ウクライナは、1のvanpir/upir(バンピール、ウプイリ)系にあたっていて、他系と異なり、吸血鬼に人狼、魔女、夢魔の名称を転用している事は無いそうである。「東スラヴ、とくにロシアと白ロシアにおいては、本来血に飢えた吸血鬼の表象はなかった」と栗原氏は述べている。

 

しかし、18世紀にセルビア人が入植したウクライナでは、南スラヴや西スラヴ世界と接触する機会が多く、そうした影響により、もともとあった魔女伝説に人狼や吸血鬼の表象が混淆したようだ。「ウクライナでは、人は呪術により、あるいは狼に殺された家畜の肉を食することにより人狼となり、人間や家畜を襲い、死後に吸血鬼となるという俗信が南スラヴ族の吸血鬼表象の影響のもとに土着化した。」(吸血鬼伝考)とある。ゴーゴリが調査した19世紀には、すでに魔女、吸血鬼、人狼の性質が複合していたようだ。想像していたよりも比較的新しい信仰かもしれない。

  • 百人長の娘はなぜ老婆の姿で現れたのか

百人長の娘はかなり美少女なのに、ホマーと出会った時はなぜ老婆の姿をしていたのか不思議であるがこれもスラヴ地域の信仰と関係あるらしい。「吸血鬼伝承」(著者:平賀英一郎 中公新書)によると(ロシアの)エラトムスク地方のereticaは魔女に近く、生前悪魔に魂を売った女が、死後昼は醜い老婆の姿でさまよい、夕方には渓谷に集まり、夜は落ち窪んだ墓に入り、棺の中で寝る。その目は邪視で人を取り殺す」とある。また、「石の花」の著者、パーヴェル・バジョーフは、ロシアのウラル地方に伝わる民話をもとにして、「青い老婆シニューシカの井戸」という童話を書いているが、これは、青い老婆・シニューシカが、美しい娘の姿となり、心正しい青年に富を手渡す話である。醜い老婆が絶世の美女に変わるシーンは劇的である。ゴーゴリは、このような伝承をヒントに創作したのかもしれない。

  • 「ヴィイ」とは何か

ラスト近くになって現れる「ヴィイ」は、土まみれで瞼が足元まで下がっているという奇怪な姿をしている。栗原氏は「妖怪ヴィイもまったくゴーゴリの想像というわけではなくマケドニアやセルビアの民間信仰には知られており、その重いまぶたがあくとき、恐るべき凶眼によって一瞬のうちに人間や町を灰にしてしまう稲妻の神であった。」と書いている。その他にも魔女は凶眼であるといった信仰がスラヴ地域では多いようだ。「ヴィイ」の姿については、ゴーゴリの想像と思われるが、その性質についてはキリスト教以前の神話の影響があるのかもしれない。余談であるが、水木しげる「雪姫ちゃんとゲゲゲの鬼太郎 妖怪実力選手権大会」(角川文庫「雪姫ちゃんとゲゲゲの鬼太郎」に収録)で、鬼太郎をはじめとして世界の妖怪たちが命がけで実力を競うが、ソ連代表で「ブイイ」が出て来る。こういうマイナーな妖怪を代表にするセンスが面白い。

 

図版1「水木しげる貸本漫画傑作選 悪魔くん(下)」著者:水木しげる 2001年 朝日ソノラマ

図版1「水木しげる貸本漫画傑作選 悪魔くん(下)」著者:水木しげる
2001年 朝日ソノラマ

 

私は、「異形の者」を朝日ソノラマ文庫の「悪魔くん 下」に収録されている作品の一つとして読んだが、講談社「水木しげる漫画大全集 貸本漫画集(12)」にも収録されている。また、確認していないが、文春文庫にも収録されているようだ。

 

「ヴィイ」と水木しげる
水木しげるは、「ヴィイ」を日本の話に変え、「異形の者」「死人つき」という2編のマンガを描いている。水木しげるはこの他にもH.P.ラヴクラフト(1890~1937年)やヘンリー・カットナー(1915~1958年)などの海外文学作品を翻案したマンガを発表している。


「異形の者」「死人つき」ストーリー

慧海(えいかい)という僧侶が若い頃、柏崎にやって来た時の事を語る。ちょうどその頃、土地の豪族である草葉様の娘が亡くなり、三日間の回向(えこう)をすることになった。娘は生前から「もうりょう(山姥)」にとりつかれていたという。慧海が回向をしていると娘の死体が立ちあがって襲ってきたが、一番鶏が鳴き、朝になるともとの死体に戻った。慧海は和尚の勧めで八角円を描き、中心に座って回向した。
円の中に居ると、娘は円に入れず、慧海の姿も見えないようだ。三日目に娘を棺桶に入れ、出る事が出来ないように閉じ込めたが、娘はたくさんの妖怪を呼び寄せた。妖怪たちは円を破る事が出来ないので、妖怪の親玉と思われる土精を連れて来た。土精が、重い瞼を持ちあげて指差すと八角円が破れ、妖怪たちがいっせいに襲ってきた。その時、二番鶏が鳴き、朝日に照らされて妖怪たちは全て死んでしまった。
慧海は、妖怪が居たという証拠を残すため、それらミイラをそのまま小堂に保存することにした。

 

図版2 本田画 「死人つき」の主人公が、八角円の中で回向をする図

図版2 本田画 「死人つき」の主人公が、八角円の中で回向をする図

 

「異形の者」「死人つき」の内容はほぼ同じである。違いといえば、「異形の者」では、娘に「山姥」が取りついているのに対して、「死人つき」では、「もうりょう」が取りついている事と、主人公のキャラクターが「死人つき」では、マンガタッチの水木しげるらしいキャラクターになっているのに対して、その前に書かれた「異形の者」慧海は、劇画タッチの美貌の青年として描かれているといった事である。「異形の者」は、昭和40(1965)年に発表されたということなので、アレクサンドル・プトウシコが特撮を担当した映画「妖婆・死棺の呪い」の製作(1967年)よりも前である。

 

水木のマンガでは、舞台が日本の話になっていて、日本らしくない描写、例えば娘がホマーの背に乗って空を飛んだり、猟犬係のミキータの背に乗って、野をかけまわらせて殺してしまうとか、赤ん坊やおかみさんの血を吸い、噛み傷だらけにして殺してしまうといった部分は省いてある。主人公の慧海は、生前の娘との係わりは無く、「ヴィイ」ホマーと共通するのは、死体の傍らで祈祷する所からである。しかし、部分的にはかなりゴーゴリの原作に忠実な箇所があり、水木が原作を読みこなしていた事が伺える。この2編のマンガのテーマは明快である。特に「死人つき」慧海は、理性を重んじ、迷信を内心バカにしていたが、「もうりょう」達に接した経験から「理屈ではなく妖怪は存在する」といった事を知る。科学万能主義や夢の無い無味乾燥な社会に対する批判を込めた水木らしいテーマである。この2編のマンガのポイントとなる点は、娘の死体や妖怪たちが動く理由で、それは魂の抜けた体の中に人の目には見えない「もうりょう」(「異形の者」では山姥)が入っていて死体や物を動かしているといった解釈である。

 

八角円を描いて結界をはる方法も和尚によると「昔の人が経験により作りだしたもので理屈ではない」という事だ。形の違いはあるが、環を描いて結界をはる事は、民俗学者の諏訪春雄氏によれば、中国にも見られるという事で、東洋、西洋、仏教、キリスト教を問わず古今東西共通しているのかもしれない。
また、水木は、なぜ妖怪が陽光に弱いかという問題も投げかけている。私は、それはあたりまえの事で、民話や小説、映画などの約束ごとのように思っていたが、かなりラジカルな疑問であり、これも民俗学的に説明出来るのかもしれない。「ヴィイ」は、スラヴ地域の民話をもとにして書かれているが、民話にはキリスト教以前のアミニズム的な信仰が息づいている。そのために日本を舞台としても、死人が生きかえる場面はあまり違和感がなく、娘が人間の魂と人間以外の何物かの魂を持っているという点においては、スラヴと日本に共通する思想なのかもしれない。

図版3 「死者の招き」著者:水木しげる 1967年 朝日ソノラマ

図版3 「死者の招き」著者:水木しげる 1967年 朝日ソノラマ 
「死人つき」をはじめとして全17作の短編を収録

 

※ 次回は映画「妖女・死棺の呪い」とその特撮監督であるアレクサンドル・プトウシコについて書いてみたい

 

 

 

プロフィール

本田 未禧 (ほんだ・みき)

イラストレーター
学習院大学文学部史学科卒業。デザイン会社「アール・プロジェ」やアニメーション製作会社「シャフト」で働く。

1990年テレビ東京「水木しげるスペシャル」のアニメ美術を担当。1994年キャノンカレンダーコンテスト入賞。日本図書設計家協会に入会。
2004年アニメーション研究同人誌「シネマテック」発行。2006年「JA通信」のイラストを描く。2010年洋泉社のムック本のイラストを描く。
2011年から「東京展」出品。2013年日本グラフィック協会に入会。「現創展」のキャラクターアート部門で金賞受賞。2014年日本図書設計家協会退会。