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映画と文学   
ニコライ・ゴーゴリ「ヴィイ」と「妖婆死棺の呪い」3

  • 「ヴィイ」は、ゴーゴリが発表した中編集「ミールゴロド」に収録されている

前回は、小学生向けに翻案された「妖女・死人の家」について書いたが、「妖女」(ヴィイ)の著者であるニコライ・ゴーゴリ(1809~1956)は、1809年4月1日、ウクライナの小地主の長男として誕生した。たいへん裕福というほどではないが、両親の夫婦仲は円満で、幼年時代は幸福だったと言えるだろう。

 

父であるワシーリイ・アファナーシエヴィチ・ゴーゴリ=ヤノフスキーもアマチュア作家の側面を持ち、ウクライナ語で脚本を書き、芝居の演出もしていた。

ニコライ・ゴーゴリは、1819年に公立小学校に入学し、高等中学校に進んだ。学生時代は、病弱で、成績もふるわなかったが、文学に熱中し、学内での芝居では役者として才能を発揮した。

卒業後、ペテルスブルグに行き、1929年、国家経済公共建築局の官使の職を得た。この仕事は薄給で、その時の経験が、「外套」などの作品に生かされている。

 

1831年に愛国女学院の教師となり、ウクライナの民話や伝説をモチーフとした小説「ディーカニカ近郊夜話」を発表した。この作品が評判となって、作家として認められ、プーシキンとの親交が始まった。1934年から35年にかけて、ペテルスブルク大学の歴史学助教授となり、35年1月に「ネフスキー大通り」「肖像画」「狂人日記」を収めた「アラベスキ」という二冊の作品集を出した。同年3月にやはり二冊になった「ミールゴロド」を発表した。この本のタイトルは、ウクライナのポルターワ県ミールゴロド郡から取ったもので、「ミール」は「平和」、「ゴロド」は、「都市」を意味する。「ミールゴロド」は、「ディーカニカ近郊夜話」の続編にあたるもので、ウクライナを取材して書いた4つの中編小説が収められている。「ヴィイ」は、その中の一つである。それ以降、ゴーゴリは、「鼻」「検察官」「死せる魂」などの名作を次々と発表し、流行作家の道を歩むのであった。

ゴーゴリ伝 表紙

図版1 参考文献 「ゴーゴリ伝」著者:アンリ・トロワイヤ 訳:村上香住子 1983年 中央公論社

 

 

 

「ヴィイ」のストーリー
連載3回目にして初めて「ヴィイ」のストーリーについて書くが、今頃になって申し訳ない気がする。でも、読んでいない方も居るだろうから、やはり紹介しておいたほうがよいかと思う。

 

キーエフに神学校があって、夏休みに寄宿生達は実家に帰って行く。その中に、神学級生のハリャーワ、哲学級生ホマー・ブルート、修辞級生ゴロベーツィの3人が居た。この哲学級生のホマー・ブルートが主人公である。3人が帰宅のために旅をしていると日が暮れて部落に泊めてもらうが、そこの老婆が、「みんな別々の部屋で寝てもらうよ」と言った。ホマーが寝ていると、老婆が部屋に入って来て、背に飛び乗り、気がつくと森や谷が下の方に見えていて、ホマーは老婆を乗せ、空を飛んでいるのであった。

 

「このお婆さんは魔女だ」と思ったホマーが、あらゆる祈りの文句を唱えると、だんだん地上に降りて来て、ホマーは地面に転がっていた薪をつかむと老婆を力いっぱい叩き始めた。老婆の叫び声が若い女の声に変わったのでよく見ると、豊かな髪を振り乱した美しい少女が横たわっていた。怖くなったホマーは、いちもくさんに逃げ出し、神学校に戻った。

 

しばらくすると金持ちの百人長(コサック騎兵中尉)から、娘が散歩の途中で誰かに殴られ、死の床に臥しているため、ホマーに臨終の祈りと死後3日間にわたる祈祷を頼みに来た。
気が進まなかったが、校長に言われて仕方なく使いの者と百人長の屋敷に向かう。ホマーが着く前に娘は亡くなり、百人長の命令で3日間の祈祷をすることになった。美しい死顔を見たホマーは、あの時の娘だった事に気が付き、夕食の時にお嬢さんが魔女だったという話をコサック達から聞いた。

 

夜になってホマーが教会で娘の死体を見ると恐ろしいほどの美しさで、その時、娘の目から涙が一滴落ちるが、それは血の涙であった。しばらくすると死体が立ちあがり、ホマーの方へ向って来た。ホマーは、自分の周りに環を書いた。娘はその環を踏み越える力はなく、環の周りを歩き、棺の中に入った。棺は空中を飛びまわり、一番鶏が鳴くと死体は棺の中に倒れ伏し、ふたがバタンと閉じた。二日目も似たような事が起こり、ホマーに近づくことが出来ない娘は、魔物達を呼び寄せた。魔物達が教会に入ろうとしたところで、一番鶏が鳴いて夜が明けた。二夜祈祷をしたホマーは、髪の毛が白くなり、逃げ出そうとするが、コサック達に連れ戻されてしまう。最後の晩、教会の中につむじ風が巻き起こり、肖像画や割れたガラスが落ちてきた。無数の魔物達が集まって来るが、ホマーが書いた環が破れないので、ヴィイという土の精を連れてきた。ヴィイは、黒い土にまみれ、長い瞼が地面まで伸びていた。魔物達が瞼を持ちあげると、ヴィイは「ここにいる」と言ってホマーを指差した。とたんに環が破れ、全ての魔物がホマーに飛びかかると恐怖のあまりホマーは息絶えた。その時、二番鶏が鳴いた。一番鶏を聞き逃した魔物達は逃げ送れ、醜い屍を残した。今ではこの教会は荒れ果て、近づく者は無い。

  • 「ヴィイ」に於ける恐怖感

子供の頃、「ヴィイ」を読んで感じた恐怖とは何だったのだろう?確かに死体が立ちあがって環の周りを廻ったり、魔物達が集まって来る場面も怖かったが、最初に震えあがったのは、魔女となった娘が、赤ん坊の血を吸い、逃げるおかみさんに噛みついて全身噛み傷だらけにして殺すところであった。ホマーは、最初の晩の夕食の時にコサック達からそうした話を聞かされる。子供の時に読んだ武田武彦氏の訳を引用してみよう。

 


家の中なかにゆりかごがあって、そのなかに生まれてまもない子どもがねかされていた。~中略~すると、戸のわずかなすきまから、そのイヌが風のようにとびこみ、かみさんの足もとをくぐりぬけると、ゆりかごの赤ん坊めがけてとびかかっていった。~中略~「それがイヌじゃないんだ」~中略~「そいつはおやしきのお嬢さんなんだ。それも、いつものきれいなお嬢さまならまだしも、からだじゅうがまっさおで、目がきらきら火のようにもえているんだ。それから、赤ん坊ののどぶえにきばをたて、生き血をすいにかかった。~中略~そうすると、赤ん坊の生き血をすいおえたとみえて、こんどはお嬢さん、天じょううらにいるかみさんのところへ、みしりみしりとあがっていった。そしてふるえているかみさんにとびかかるなり、かみついた。あさになって、やっと目をさましたシェプトゥーンは、からだじゅうをかみつかれて、むしの息のかみさんを、天じょううらからひきおろしたが、その日一日わけのわからぬうわごとをいいつづけて、あくる日息をひきとった。まったくおそろしいことさ。 「妖女・死人の家」1973年 偕成社

 

 

それまで、日本の怪談話などを読んでいたが、日本の幽霊は、怨みのある相手や因縁のある人にとりついて殺すわけで、生きている時と同様に人の心を持っている。しかし、この魔女は、本能のままに無差別殺人をし、まるで獣のようで人の心も通じないし、対話が成立しない。日本には、このようなタイプの妖怪はあまり居ないように思える。やはり、森に狼が居て、常に狼に襲われる危険性がある国と日本の違いであろうか?異質の文化というか、異質の恐怖に初めて触れて、心が凍りつくような怖さを感じた。

 

また、ここでは、魔女と吸血鬼、人狼が混合され一体となっている。栗原成郎氏は、「スラブ吸血鬼伝説考」(1980年 河出書房新社)という本の中で、「吸血鬼信仰を研究するさいに、一般に吸血鬼の概念が非常に混質的であることに驚かされる。吸血鬼は人狼、夢魔、魔女、妖術師、食人鬼、幽霊、悪魔などと混合して考えられ、名称の混合すら見られるほどである。その混淆現象の範囲はプレ・アミニズムからキリスト教的に鋳造し直された霊魂信仰にまでおよんでいる。」と書いている。特にこの本の第五章「スラブ人狼伝説」では、吸血鬼信仰と人狼信仰の密接な関係について触れているので、これは次回紹介したい。

  • 「ヴィイ」の美しくセクシュアルな場面

ホマーが老婆を背に乗せたまま空を飛ぶ場面はたいへん幻想的で美しい。これも引用してみよう。今度は「ゴーゴリ全集2」の服部典三氏の訳によるものである。

 


空には鎌のような月が照っていた。おずおずとした深夜の輝きが、透き通る被衣のように、軽く地上を覆って、煙っていた。森、草原、空、渓谷―なにもかもがまるで目を見開いたまま眠っているかのように思えた。~中略~青い釣鐘水仙の花が首を傾けて、鳴っているのが聞こえた。菅の影から妖精(ルサールカ)が泳ぎ出てくるのが見えた。きらめきとゆらめきからできているような、しなやかなむっちりとした背と足がちらちらと見えた。~中略~雲のようにふくよかな胸、釉薬をかけていない陶器のような、つやけしの胸が、その白い、しなやかで、たおやかな丸い隆起の縁を陽にきらめかせている。小さな泡がビーズのように、そのまわりを取り巻く。彼女は、全身を震わせ、水中で笑っている‥「ゴーゴリ全集2」1977年 河出書房新社

 

 

夢のような場面である。この風景描写や水の精(ルサールカ)は、ケルトとはまた違ったスラブ特有の幻想性と美しさがあるように思われる。魔女となった少女も、この世のものとは思えない美しさであるがゆえに、死体となり立ちあがった姿がより恐ろしく感じられるのである。

ゴーゴリは、文学者としては、リアルな女性の描写が苦手で、描き方が観念的だとされている。生涯独身で、同性愛的な傾向があったと言われているらしい。

 

「ネフスキー大通り」「狂人日記」などの作品からも伺えるように、美しい女は悪魔的であり、油断してはならない相手と考えていたようだ。こうしたところにゴーゴリの女性感が見え隠れしている。「ヴィイ」を読んでいると主人公のホマーゴーゴリの姿が重なってきて、「ゴーゴリは、女性経験が少なく、モテなかったのではないか」と想像出来て、なんとなくおかしいのである。続く (次回は民俗学の立場から考えてみたい)

百人長、その娘とホマー・ブルート 

 

 

「ニコライ・ゴーゴリ」表紙

図版2 百人長、その娘とホマー・ブルート 「ヴィイより」 画:M.ミケーシン 
(「ゴーゴリ全集2」著者:ニコライ・ゴーゴリ 訳:服部典三 1977年 河出書房新社より転載)

図版3 「ニコライ・ゴーゴリ」著者:ウラジーミル・ナボコフ 訳:青山太郎 1996年 平凡社

   

 

 

 

プロフィール

本田 未禧 (ほんだ・みき)

イラストレーター
学習院大学文学部史学科卒業。デザイン会社「アール・プロジェ」やアニメーション製作会社「シャフト」で働く。

1990年テレビ東京「水木しげるスペシャル」のアニメ美術を担当。1994年キャノンカレンダーコンテスト入賞。日本図書設計家協会に入会。
2004年アニメーション研究同人誌「シネマテック」発行。2006年「JA通信」のイラストを描く。2010年洋泉社のムック本のイラストを描く。
2011年から「東京展」出品。2013年日本グラフィック協会に入会。「現創展」のキャラクターアート部門で金賞受賞。2014年日本図書設計家協会退会。